【界隈でよく議題に挙がる】研究者として「制限」をどう捉える?

2021年2月14日

 お越しいただきありがとうございます。カルフです。The 地方国立大の博士課程を修了し、現在は化学メーカーで研究開発をしています。大学を出てからも運よく研究を続けられているわけですが、もちろん好き勝手に研究を進められているわけではありません。大学でも企業でも色々な制限がある中で研究を行っています。そこで、今回は世界的に見て不自由だと評される日本の研究者として、私が大事にしたいなと感じていることをご紹介しようと思います。「地方大の研究室にある制限って?企業での研究にある制限とは?」と興味のある方は是非ご一読ください。内容は、

・地方大での制限
・企業での制限
・忘年会にて
・「制限」と見るか「方向性」と見るか

です。それでは1つずつ見ていきましょう!

地方大の研究室の制限

 これは想像がつくかもしれません。地方大は超シンプルに、

金がない

んですよね。政府が大学にくれる研究費自体が終わっているので、恒常的に研究費の無い研究室が出てきます。一度研究費が途切れると。「まともに研究ができない」→「成果が出ない」→「予算の申請書に業績が書けない」→「審査が通らずまた金欠」という負の循環が生まれます。私の出身研究室は幸いにもそんなことが無く、研究費は恵まれている方だったと思います。というか研究室を選ぶ時点でお金が尽きている研究室を候補から外していましたね。研究室がどれくらいお金を持っているかは、「教授の名前 科研費」で検索してみましょう。話が逸れました(笑)。お金に余裕はある方とは言っても日々の実験では節約に努めていました。当時実験室にある装置の1/4くらいは私が作っていた気がします(笑)。分かりやすいところで言えば、「鉄管+ニクロム線+断熱材+温調 → 電気炉」や「ガラス管+ガラス管→(ガラス細工)→トラップ管」といったところでしょうか?あとは、アンクルを組んで、板を切って穴をあけて、ボルトを締めて実験台を作ることもよくしました。あれはあれでで楽しかったんですけど、まあ研究成果にはならないですよね(笑)。実験を行うのに必要な部品、工具、作成手順を考える力は身に付いたかな?
 研究費以外にもお金による制限がかかっている部分があります。それは人件費です。地方大あるあるかもしれませんが、教員が少ないんですよね。私の大学には教授や准教授1人によるワンオペ研究室がいくつもありました。私の出身研究室は配属当初はスタッフが2人いて、修士の時に幸いにも3人に増えました(学科の予算が回ってきたのは本当に幸いでした。本来は別の研究室用の予算だったらしいので。)。「スタッフがいたんなら問題ねーだろ!」と思うかもしれません。確かにワンオペよりはマシなのですが、スタッフが増えると「B4の受け入れ人数が増える」という事態になります(笑)。考えないといけないテーマの数や面倒を見ないといけない人数が増えるのはかなりの負担増です。

企業での制限

 さて、地方大での研究が終わり、企業での研究を始めた私ですが、「制限の内容」が変わってきたなと感じています。私が勤めているのは大手の部類に入るメーカーですので、研究開発費は潤沢だなと思います。地方大から入っているので尚更そう感じます(笑)。しかし、その一方で窮屈だなと感じることもしばしば。その中でも最たるものが安全対策です。
 もちろん安全対策は重要です。安全第一、生産第二の考え方も分かります。ただ、気軽にやってみたい実験でも、使う薬品をリストアップして、実験方法をPC上で詳細に書き、起こりうる危険とその対策をまとめ、印刷してから上司と議論してハンコをがもらい、そして上司の上司にも同じことを説明してハンコをもらって・・・と乗り越えないといけないことが多いのです。書類作成に業務時間を取られるのはもどかしいです。私の場合、本当にやってみたい実験系は家で書類作成することが多いですね…(笑)。
 また、安全意識を高めるための議論が定期的に開かれます。化学メーカーだとプラントを持っている会社がほとんどだと思いますが、プラントで起きた事故事例を紹介されても研究開発として共有できる部分が少ないです。

司会「誤ってバルブを開いたこの件ですが…」
同僚「この職場にバルブってほとんど無いんだよな…」

といった状態になることが多いです。もちろん知識として注意すべき点を知っておくことは大事だと思っているので前向きに受けてはいますが、出席者の中には寝ている方もいます。
 ここまでネガティブキャンペーンみたいな内容になってしまいました。ただ意外かもしれませんが、私自身はこれらの制限のせいで研究職が嫌になったかと問われたら、Not  at all です。一見すると制限だと思うことはいくらでもあるわけです。でも、そんな中で工夫してクリエイティブな仕事が出来ると、最高な気分になるんです。例を少しご紹介します。

忘年会にて

 去年の12月の話です。コロナの感染者が再び増加傾向に転じ、社内でも警戒するように指示が出ていました。そんな中、会社が管理している食事場にて、参加人数を非常に絞り、決められた時間内で絶対に終えるという条件で忘年会の開催が許可されたのです。幹事を行うのはもちろん新人の私。レク予算も多いわけではなく、まさに「制限祭り」でした(笑)。しかしながら、日本の研究者として制限に屈した平凡な会には決してしたくなかった(笑)ので、レクに趣向を凝らすことに。レク自体はビンゴというベタベタな内容だったのですが、ゲームが進行する過程で参加者同士が1年間のお礼を強制的に言わされるルールを付して行いました。上手くいくか不安だったんですが、当日の夜、レクの間は各人が想い想いの感謝を伝えるほっこりタイムとなり、私の頭の中にはドラクエIIIの「まどろみの中で」が流れていました(分かる人いますか?笑)。普段、顔を合わして真剣にお礼を言う機会なんて無いじゃないですか。でも本当に大事なことだし、次の日からのチームの業務が絶対に上手くいくと思ったので実行しました。実際に行った後は非常に好評をいただきました。また、自身のどういったことが他人にプラスに捉えられているのかを客観的に確かめる機会にもなったとも思います。私が評価されている部分は…長くなりそうなので別の記事で紹介しますね。
 この企画は例年通りの人数では決してできないものだったと思います。人数制限がかかって少ない人数だったことや、静かな個室があったからこそ成り立つ企画でした。本企画はそれなりに時間を割いて練った甲斐がありました。普段の業務では感じられない達成感があり、「頑張って良かったな~」と感じています。

「制限」と見るか「方向性」と見るか

 ここまで色々な制限を紹介してきましたが、私自身はそれなりに楽しんで生きてきた気がします。研究室のお金が限られていれば、出来るだけお金のかからないテーマを探したり、実験器具を自分で作ったりします。実験を行うのに必要なのがたかだか書類だけなのであれば家で書類を作成します。参加人数が限られて静かに行う忘年会なら、その中で楽しめる企画を考えます。どれも制限があるのは確かなのですが、それを「出来ない事がこんなにある」と捉えるのか、「方向性を示してもらっている」と捉えるのかで、次のアクションに差が出てくるのではないでしょうか?
 現在大学の研究室にいる方は非常に多くの「制限」がかかっていると思います。ただ、コロナを言い訳に出来るのは自分自身に対してだけで、世間はそう簡単に免罪符としてのコロナを容認してくれないと予想しています。研究の方向性は今までと同じでいいのか?登学できる時間は全て実験に費やせるように家で出来ることはないのか?オンライン特有のスキルを身に付ける必要があるのではないか?等々、考えられる事がたくさん出てくるでしょう。「制限」と一言で終わらせるのではなく、「方向性」として自身の研究者レベルをアップする方向へマインドセットをしたいですね。私も頑張ります。

 今回も最後までお読みいただきありがとうございます。本記事を書きながら、何不自由なく研究できる環境なんてないんだろうなと思いました。皆さんが何かしらで課題を抱えながら頑張っているんですよね。私も持ち前の前向きさを武器にして、日々精進しようと思います。ではでは~。