何かに手が届かなかった時

大学院生向け

 お越しいただきありがとうございます。カルフです。地方国立大の博士課程を修了し、現在は化学メーカーで研究開発をしています。Twitter界を覗いていると、今週は博士課程学生界隈で大きなイベントがあったようです。それは、

学振の審査結果の通知

です。博士進学予定のM2や博士課程在籍中の学生にとってこれほどのビッグイベントは中々ありません(「学振」について知りたい方はこちらをご覧ください)。Twitter上では採用に内定した方や残念な結果だった方が、それぞれの想いのたけを綴っていました。採用された方、おめでとうございます。私が心配なのは不採用だった方についてです。何も手がつかないですよね。私も2回不採用を食らったので、よくわかります(笑)。そこで今回は、私の学振の結果を振り返るとともに、何かに手が届かなかった時の私なりの心持ちを記そうと思います。手が届かないことだらけだった私の人生の一部をご覧いただけると幸いです(笑)。コンテンツは、

・DC1不採用
・DC2(1回目)不採用
・DC2(2回目)採用
・悔しさが湧くか?

となっております。それでは1つずつ見ていきましょう!

DC1不採用

 M2の年度初め、死ぬ想いで書いた学振DC1の申請書。その審査結果がこの時期にありました。結果は不採用A。この時の手札は、論文0本、国際会議の口頭発表0本、国際会議のポスター2件、表彰4件でした。DC1の審査では論文0本は珍しくないので、低偏差値大で稼いだ表彰を武器に(笑)勝負しましたが、ダメでした。この時の気持ちは「やっぱりね」という感じでした。あまり期待していなかったので、不採用Aだったことに満足すらあったと思います。助教(DC2)と准教授(DC1)には、「Aだったし、論文を書いて来年獲ろうな!」と励まされました。私は「そうだよな。頑張らないと!」と前向きに捉えることが出来ました。

DC2(1回目)不採用

 博士課程進学早々、またも死ぬ想いで書いたDC2の申請書。その審査結果は不採用B。前年度よりも低い評価でした。それもそのはず。手札に筆頭の論文が1本もなかったのですから。DC1ならまだしも、明確にD進の意思を示した後に申請するDC2は、筆頭の論文を書いていない人間が採用されるほど甘いものではありませんでした。この時も助教と准教授は慰めてくれましたが、正直自分の心には何も響かなかったです。「結局、あんたらは獲れたじゃん。私の気持ちが分かるはずがない。」と卑屈な考えに支配されていました。その一方で、「筆頭の論文が無いとほぼ通らないと言われていたにも関わらず、お前はこの1年何をしていたんだ?博士には向いていないんじゃないのか?」という自己否定にも陥っていました。D1の秋に筆頭1本目がacceptされていたものの、正直、私の博士課程時代でこの時期が一番の病み期でした。M2の時期と比べ、運動はほぼしなくなり、体重は5 kgほど増えており、自己肯定感はどん底だったと思います。そんな状態が続き、D1の2月を迎えました。朝、目が覚めるたびに動悸がする。気持ちが暗い。 なのに研究室ではそんなそぶりは見せられない。「このままでは冗談抜きで死ぬな。」と考え、軽いランニングを始めました。徐々に体のコンディションを上げ、3月末までにベスト体重まで戻しました。そして、D2の春を迎えたのです。

DC2(2回目)採用

 体の調子を何とか戻した私は、再度DC2の申請書を書くことができました。おそらく、病み期を引きずっていたら書くこと自体を諦めていたと思います。また、申請書と並行して論文を1本submitしていました(この時点で2つのジャーナルでrejectを食らっていました)。教授陣と学振の申請書を練り直しつつ、論文のreviseを考えるという辛い日々が続きましたが、学振の最終締め切りまでにacceptを頂いたので、筆頭2本を携えてラストチャンスに臨むことができました。その結果が届いたのは、この時期の金曜日の夕方だったと記憶しています。研究室の雑誌会から帰ってきてPCを見ると1件のメールが。学振の審査結果が出た旨のメールでした。震える手でアクセスし、文面を見ると、そこには採用の表記がありました。近くにいた准教授に大きな声で採用された旨を伝え、祝福を頂きました。そして、教授よりも先に親に電話したことを覚えています(ただ出なかったので、結果的には教授に先に伝えましたね)。底辺の大学で学振を獲れたことは大きな自信に繋がりました。

悔しさが湧くか?

 さぁ、遅くなりましたが本題です。今回は学振を取り上げましたが、私の人生は手が届かなかったことだらけです。大学入試だって、学振の2連続だって、手が届きませんでした。どちらも私の努力不足が原因でしたが、それでも手が届かなかった際に「悔しい」という想いがありました。努力の程度に差があるにしろ、少しでも思い入れのあるものに手が届かなければ悔しさが湧いてくると思います。悔しさが全くない場合は、本気でやり切ったか、もしくは全く思い入れが無かったのでしょう。私の場合は、努力不足は認識しつつも、悔しい想いがあったから、再び努力する気になったんだと思います。もちろん、学振が不採用になった際に、周りに「悔しい」なんて言えませんでした。だって論文を書かなかった私が悪いんですから、周囲はかける言葉が無いじゃないですか。今思い返すと自己中ですよね。努力不足なのに悔しさを秘めてるなんて。でも、良かったんです。それで。それが努力に繋がったんですから。手が届かないのであれば、さらに手を伸ばすしかありません。今、挫折を味わっている人がいれば、今はとことん落ち込めばいいと思います。ただ、どん底の中でほんの少しでもいいから悔しさを持ってほしいです。Twitter上はキラキラした人たちばかりが目に入るので、距離を置くのもいいでしょう。悔しさを火種に努力をしてほしいと思います。頭のスペックなんて大して高くない私でも、何とか努力できています。たぶん、悔しさのおかげです。どうか、悔しい自分を認めてあげて。

 今回も最後までお読みいただきありがとうございます。学振に限らず、人生では手が届かないことがたくさんあると思いますが、私自身の道しるべになればいいなと考えて記しました。結局、どこかのタイミングで前を向くしかないのでしょう。これからも、何事にも前向きに頑張ろうと思います。ではでは~。

プロフィール
calf

受験で挫折 → 地方国立大 → 首席 → 日本学術振興会特別研究員DC2 → 博士号取得 → 企業研究職│学会受賞6件│無機化学│危険物甲種│高圧ガス(甲種化学) │

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